自分らしくあれっていうけど難しいですよね
ずいぶん前に友人限定で公開していたブログに
書き散らしていた記事を発見しました。
blog=web+log
なんですよね。ひたすら日記帳として書いていたころは
日記として書くことで、自身が何を考えているか
時系列で、かつ、わりと心の声に近い部分が見える化して
あとからみて、便利でした。
これは、2016年の秋に書いたものなのですが、今もこの感覚からは変わってないです。
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私らしくってなんだろうって昨日から考えてた。
私にとっての私らしくは
求められている声に耳を澄ませ
それに応じることだと思います。
はなしはすこしそれますが
facebook上に何かしら、ずっと書き続けている理由なんて簡単で
更新を待っている人がいるからです。
本当に。
そうでなければ、私は、かかないよ。
たまたま、それが書き物だっただけ。
しかも、ほんの数名のニーズだ。
「若干の身体的ハンデを抱えながらも全力で生きている
私の毎日のしょうもない記録に勇気づけられたい」
ニーズはミスリーディングではないと思う。
手を変え品を変えなんかかいてた。
それは、求められてたから。
余談ですが、写真は需要がないからのっけてない。
そもそも自撮りは、前々職の銀行やめるときに制服姿の自分をこっそりロッカーで撮って以来インカメラ機能をつかったことない。
何を求められていて、自分の持ちうるリソースで何ができるか考え・動く
これを行動指針にすることそのものがわたしらしいのかな、と思っています。
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